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私、正直言って、「メタボ」体質です。(メタボとはっきり言いなさい!の声あり)
毎日のように「あなた、死ぬわよ!」と細木せんせいなみの、きついお言葉。
そこで、歩こうと思い始めました。
ジョギングと言いたいところですが、いきなり走ろうものなら心臓が破裂します。
以前、犬の散歩で走ってみたことがあるのですが、しばらく走ったら、ころんでしまい、恥ずかしい思いをしました。
ほぼ「大」の字です。
何の起伏もないところだったのに。
犬も何が起こったのかわからないようで、おろおろしてました。
しばらくして「大丈夫?」というように近寄ってペロペロしてくれました。
やさしいのはキミだけだよ・・・
実は私、本に書き込みができません。
3色ボールペンを使って書き込みしてみようかと思ったのですが、できません。
私にとって本は小さい頃から大切なもの、貴重なものでした。
素晴らしい物語、素晴らしい考えを伝えてくれるものでした。
そんな本を私の汚い字で汚すなんて「もってのほか」です。
でも、本を読んでいて気になる部分というのはあります。
そこで、気になる部分にはポストイットをつけるようにしています。
読書の流れを止めたくないときは、ポストイットに何も書き込みませんが、できるだけ気になった言葉を書いておくようにしています。
本を読む集中力が落ちてきたなと感じたときは、そのポストイットまで戻るようにしています。
そこで何が気になったのかを思い出せれば、ノートに書きますし、思い出せなければ考えてみます。
このポストイット、後ではずしてノートに貼れば、考える「タスク」集の出来上がりです。
暇なとき(特に会議中など)このポストイットがあると退屈しませんね。
でも、字が汚くて何を書いていたのかわからなくなること、更に思い出そうにも思いだせないことがしょっちゅうです。
根本的に記憶力に問題ありです。
最近、齋藤 孝さん、梅田望夫さん、中島 聡さんの本を立て続けに読んだせいもあり、ちょっと刺激されてしまいました。
彼ら3人はもうすでに「何者か」であり、何かを成し遂げるか、成し遂げようとしているか、またこれからの課題に向かって行こうとしている人たちです。
別にライバル心というわけではないのですが、方や「何者でもない」自分に焦りを感じたりします。
本の中で、「若いころに何かを突き詰めてやったり、考えたりしていないと、年取ってからまだなんでもできると勘違いしてしまう」というような一節があり、ドキッとしました。(うろおぼえです)
私はどうか?何も発信できるものを持っていないなと、やはり、若い頃なんとなく生きてきたせいなのかなと思ってしまいました。実際あまり考えず生きてきましたし。(考えるふりはしてたけどね)
でも、過ぎ去った昔のことを悔やんでも仕方がないので、まだなんでもできると思っている楽天的な気持ちで、このブログを始めてみました。
極めて平凡な人生を送っている私でも、ブログを書き続けることで、何らかの情報が発信できるかもしれないとこれまた楽天的に思っています。(思い込んでます)
さて、私は私自身が認めることのできる「何者か」になれるのでしょうか?